会社案内 |
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●会社概要 |
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1.社名 |
株式会社 弘文社
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2.事業内容 |
資格書等出版物の発行および販売
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3.代表者 |
代表取締役社長 岡ア 靖
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4.社風 |
自由闊達
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5.社是 |
創意無限
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6.所在地 |
〒546−0012 大阪府大阪市東住吉区中野2丁目1−27
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●沿革
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1904年(明治37年) |
湯川松次郎、19歳の時、大阪市東区平野町において書籍小売店を開業。
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1909年(明治42年) |
大阪市南区松屋町において明文館の称号で出版業を始める。
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1926年(昭和01年) |
大阪市東区備後町1丁目に移転。美久仁文庫を刊行。
この頃の美久仁文庫は立川文庫と講談小説の中間を狙ったもので、大きな人気を得ていた。
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1930年(昭和05年) |
大阪市南区順慶町1丁目53番地に社屋を新築する。
間口15m、裏通りまでの奥行46m(200坪強)。湯川弘文社の新社名によって一般出版物、小学校参考書を手始めに、中学校受験参考書から、各科目の中学校教科書へと拡大。
中でも、昭和7年刊行の佐々木信綱、武田祐吉「国語読本」(中等教科書)は第1位の採用数を得る。
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1941年(昭和16年) |
大東亜戦争により、教科書は国定となり大打撃を受ける。戦災のため住吉大社裏に移転する。
社名を弘文社に改称。終戦直後には、日本で初の「入社試験問題集」「学習図鑑」「社会科事典」などを刊行する。
特に「社会科事典」は「社会科」という言葉が全くないものであった時代のため、爆発的にヒットする。
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1949年(昭和24年) |
大阪市阿倍野区相生通(約1,000坪)に移転。
戦中戦後にかけては、藤沢恒夫、太宰治、吉井勇などの文芸書も多数出版する。
文芸雑誌の「東西」、少年雑誌「新少年」には、年少時の手塚治虫氏が連載マンガを寄せている。
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1954年(昭和29年) |
広島県福山市沼隈町能登原生まれの岡ア達が入社する。
そこで勝負した石黒修監修の小学校1年〜6年生の6巻初版各5万部での小学生の作文シリーズが前評判に反してさっぱり売れず、大きなダメージを受ける。
また、幼児教育関係の能力開発シリーズ40点を刊行する。同時に国家試験、資格試験の分野にも手を付けておくことを忘れなかった。
以来今日に至るまで、赤字のない安定した経営が続いた。
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1971年(昭和46年) |
湯川松次郎死去(86才)。代表取締役社長に岡ア達が就任。
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1977年(昭和52年) |
大阪市東住吉区中野2丁目に、現社屋(敷地約110坪、5階建)を新築、移転する。
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2016年(平成28年) |
代表取締役会長に岡ア達が就任。代表取締役社長に岡ア靖が就任。
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2022年(令和4年) |
10月10日、岡ア達が永眠する。享年90歳。
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